ベートーヴェン「第10交響曲」第1楽章(B.クーパーによる補完版)
Ludwig van Beethoven Symphony no.10 
First Movement Realised and completed by Barry Cooper(1988)

英国のバリー・クーパー(Braay Cooper)博士(スコットランドのアバディーン大学音楽学部)が、幻と言わていたベートーヴェンの交響曲を発見し、補筆校正を経て、ベートヴェンの第10交響曲第1楽章(補完版)として世に発表した。 ベートーヴェンが第10交響曲の譜面を書き残しているのでは?と言う噂は昔からあり、多くの研究者がその楽譜の手がかりを求めて努力して来たが、正しく楽譜の裏付けを得て立証することができなかった。クーパー氏は、幻の交響曲が存在しているという根拠を順序立て紹介しているが、以下の三点に要約できる。

一番目の根拠として、作曲者ベートーヴェン(1770-1827)が亡くなる前にロンドンのロイヤル・フィルハーモニー協会(a)宛に書いた手紙で、新しい交響曲のスケッチ があることを書いていること。文面を紹介する。「ロンドンのフィルハーモニー協会(Philharmonic Society)のために、新しい交響曲、又は序曲を作曲することをお約束します。そのスケッチは既に出来上がっており、机の中に入れています」。この手紙は有名なもので信憑性に疑いの余地はなく、手紙のオリジナルはドイツ、コブレンツ(Koblenz)(b)のシュタンム・ハウスというワイン農場のに保存されている。この農場の6代前の当主、フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー(1765-1848) は、ベートーヴェンの少年時代からの友人であり親友であった。この人物はベートーヴェンの死後、回想録を書くに当たり、その資料としてベートーヴェン縁の多くの品々や手紙を収集し、現在でもこの農場の資料室に保存されている。以下、手紙の内容を紹介する。
 手紙の日付は、1827.3.18 Wienとあり、ロンドンのモーシュレス(Ignaz Moscheles 1794-1870)(c)に宛てられている。1827年の3月18日と言えばベートーヴェンの亡くなる8日前で、病床の作曲家が側近に代筆させたとされる。

二番目の根拠として、ベートーヴェンの友人カール・ホルツ(Karl Holz 1798-1858)(d)が、「ベートーヴェンが新しい交響曲を自分の前でピアノ演奏した」と述べていることが挙げられる。
「ホルツはベートーヴェンと親密な交際をした信頼をおける人物なので、我々はこのことを信じても良いと思う(B.クーパー氏の言葉)」。

 さて、ホルツがベートーヴェン作の新曲を聞いた時の情景は、セイヤー・フォーブス著の「ベートーヴェンの生涯」(*)の中で読むことができる。 以下、「私は聞いた曲は、変ホ長調のゆるやかなイントロに、速くて力強いハ短調のアレグロが続く交響曲だった」。この記述はクーパー氏にとって、第10交響曲を発見するための貴重な手がかりとなった。ホルツが演奏を聞いたとされるウィーンでは楽譜を発見出来なかったクーパー氏は、1983年、ベルリンの国立図書館に残されていた未整理の譜面の中から、第10交響曲のスケッチを発見した。それはホルツの言葉を裏付けるものだった。そのスケッチには、はっきりと第10交響曲という作曲者によるサインがあり、ホルツが聞いた曲の内容と合致した楽譜であった。

三番目の根拠として、ボン(Bonn)(e)のベートーヴェン・ハウス(f)に隣接するベートーヴェン記録保管所には、第10交響曲のスケッチ(1822年・オリジナル)と認定できる譜面の一部が保存されている。 なお、この譜面はベルリンにあったものと同じく、変ホ長調の序奏とハ短調による8分の6拍子のアレグロが記されている。 さて、以上のような資料を見る限り、ベートーヴェンの第10交響曲は作曲者自らの手で完成されることはなかった。つまり、未完のスケッチのみが残されていたのである。ここで、第10交響曲の確かな存在が判明したこと、及び資料としての信憑性を得たクーパー氏は、
この幻の交響曲を世に発表すべく再構成に取り掛かかった。

クーパー氏によれば、第10交響曲のための残されてスケッチは約200小節であったが、第1楽章の小節数を約500~550小節で構成されると仮定し、約300小節をクーパー氏が補筆して完成させた(実際の補完版は531小節からなる)。なお、クーパー氏による補完版・世界初演は、1988年に読売日本交響楽団とクーパー氏自らの指揮により行われている。今回、テレマン室内オーケストラの定期演奏会(2011.7.4いずみホール)に参加させて戴き、このクーパー氏による補完版をクラシカル楽器(古楽器)で演奏したが、古楽器使用による演奏では日本では最初のものとなる。

参考文献: 1988年10月・民放TV放映 「謎学の旅」スペシャル。

 

(a)Philharmonic Society :  B.クーパー氏による第10交響曲の補完版完成により、
161年ぶりにフィルハーモニー協会との約束はB.クーパー氏により果たされた。
なお、1825年3月21日、フィルハーモニー協会の演奏会にて、ベートーヴェンの第九交響曲がロンドン初演(London première)されている。
(b) コブレンツ : ボン(Bonn)から南に約50Kmの所、モーゼル川とライン川が合流する位置にある。 現在でもモーゼルワインの産地として有名。       
(c) Ignaz Moscheles (1794-1870) : ボヘミア出身のピアニスト、作曲家。1832~1841年には、フィルハーモニー協会の指揮者を務め、1832年にベートーヴェンのミサ・ソレムニスのロンドン初演を指揮、又1837年、1838年には、第九交響曲を指揮している。
(d) Karl Holz (1798-1858) : オーストリアのアマチュアバイオリニスト。1824年にベートーヴェンに出会い、友情を育んだ。ベートーヴェンの仕事を支えたりもした。
(e) ボン : ライン川沿いのケルンより南へ約20Kmにある都市。ベートーヴェンの生誕地。
(f) ベートーヴェン・ハウス:ベートーヴェンの生家。現在は博物館として公開されている。
(*)セイヤー・フォーブス : Life of Beethoven (Princeton,1964)

 

ベートーヴェン像(ボン) ボン・中心部の歩行者天国
カフェや商店が沢山あって、
楽しい。ドイツ・ビールで一息。
ベートーヴェン・ハウス(ボン)

ベートーヴェンはC.グラーフ作のフォルテピアノを所有していた。
(ベートーヴェン・ハウス)

 

【ベートーヴェン: 第10交響曲 第1楽章(B.クーパーによる補完版)・演奏メモ 】

ゆっくりとたテンポで曲は開始され、4小節目にはクラリネットによる牧歌的な旋律が現れる(下部・サンプル楽譜A)。この旋律は、良く知られたピアノ・ソナタ第8番 ハ短調「悲愴」Op.13(1790)から第2楽章冒頭の旋律(サンプル楽譜B)に類似性が見られる。

 一方、ハ短調によるアレグロ(緊迫した表情をもって開始される)の92小節目(サンプル楽譜C)からの旋律は、「レオノーレ」序曲第3番 Op.72a(1806)のアレグロ(Allegro)部のオーボエとクラリネットによる旋律に類似している(サンプル楽譜D)。ベートーヴェンは、動機(中心的なリズム・パターン)を巧みに印象的な旋律に仕上げることの出来た大家といえる。この巧みさには全く驚きである。→楽譜C及びD(共に短調)。これらは、8小節からなるセンテンス(フレーズ)であるが、音の上昇、下降のパターンでも類似していることも興味深い。ベートーヴェンは日常の散歩の際、スケッチ帳を持参し、常に頭にひらめいたメロディー、重要なリスム・パターンなどをメモしておき、熟考をした上で、巧み作品の中で活かすこが出来たのではないだろうか。