クラリネット小史                                                             三戸久史

このアルバムでは、19世紀初頭に活躍したクラリネットのヴィルトゥオーソによる作品、あるいはヴィルトゥオーソのために書かれた作品を選んだ。
これらのヴィルトゥオーソは18世紀後期に誕生しているが、楽器の改良や発展の大きなうねりの中で懸命に生き、自分の楽器のために自ら作曲をした奏者も多かった。19世紀初頭は名技的演奏様式の時代とも呼ばれるが、クラリネットにおいても、多くの名手が現れ、作曲家は彼らのために協奏曲を書いた。
また、自作のソロ曲や協奏曲を携えて演奏旅行を行う奏者も現われ、ソリストとしての名声を確立していった。
ここで取り上げたバッコーフェン、ミューラー、ルフェーブルや、またウェーバーと親交のあったベールマンも、このような時代に活躍したヴィルトゥオーソである。

クラリネットの誕生を紐解くと「18世紀の初めに、ドイツのニュルンベルクの楽器製造業者であるヨハン・クリストフ・デンナー(Johann Christoph Denner1655-1707)は、シャルモー(chalumeau)を改良したばかりでなく、クラリネットを発明した」との記述が、J.G.ドッペルマイヤーが1730年に著した『ニュルンベルクの数学者及び、工芸家の歴史年鑑(J.G.Doppelmayr, Historische Nachrichtvon den Nürnbergischen Mathematicis und Künstlern ) に見られる。しかし当時ニュルンベルクで工房を開いていた他の職人によって発明された可能性も考えられ、 実際のところは誰により発明されたかは解らないが、デンナーを含むニュルンベルク人の手により発明されたことは確かである。
このように、クラリネットがいつ誕生したのかは、確証が得られず、1690年誕生説、1696年説、また1701年説などの諸説があるが、1690年から1700年の間に製作されていたと考えるのが、妥当なところである。
一方、クラリネットは「J.C.デンナーが、シャルモーを改良して発明した楽器である」という声明も、数多くの著述家により紹介されてきたが、初期クラリネットと、シャルモーの取り扱いで混乱をもたらしている部分があり、真実性に欠けている。なお、現在、クラリネットの基音音域はこのシャルモーの名にちなみ「シャルモー音域」と呼ばれている。
このシャルモーという木管楽器は、フランスを起源とする1枚リードの楽器であるが、最初期のクラリネットは、このシャルモーの音色の特徴を受け継いでいる。シャルモーは18世紀に入ってからも、芸術音楽の中で用いられ、テレマン(G.P.Telemann 1681-1767)、グラウプナー(J.C.Graupner 1683-1760)、ファッシュ(J.F.Fasch1688-1758)、ヘンデル(G.F.Händel 1685-1759)、ヴイヴァルディ(A.Vivaldi 1678-1741)、グルック(C.W.Gluck 1714-1787)などが自身の音楽に使用している。
J.C.デンナーの製作技術は息子のヤコブ・デンナー(Jacob Denner 1681-1735)に受け継がれた。ニュルンベルクの博物館(Germanisches Nationalmuseum, Nürnberg)では、ヤコブ・デンナー作の美しい2キイのD管クラリネット(1720年頃製作)を見ることが出来る。

最初期に製作されたクラリネットは、2キイのD管及びC管のもので、 -米国のバークレー(Berkeley University of California)には、J.C.デンナー作と考えられる1本の3キイ・クラリネットが納められているが - ツゲ材で出来たシンプルな構造をしていた。
小さなクラリーノ又は小型のクラリーノを意味する『クラリネット』の名は、最初期のクラリネットの響きが、当時の高音トランペットであるクラリーノ(clarino)のそれに似ていたことに由来している。この最初期の楽器は、少々甲高い音色を作りだすことが出来、実際にトランペットの代用として使用されたこともあった。1732年に出版されたヴァルターの『音楽事典』(J.G.Walther, Musikalisches Lexikon, Leipzig 1732)には、「今世期初めに、ニュルンベルク人によって発明されたこの楽器は、遠くから聞くと、トランペットの音によく似ている」と記されている。また、ヴァイグルの『音楽劇場』(J.C.Weigel, Musicalisches Theatrum 1722年頃)での解説では、「トランペットの音が大きすぎる時には、クラリネットは心地よいものとなる」と記されている。

ドイツで誕生したクラリネットは、その後イギリスやフランスにもたらされた。ヘンデルの序曲(2Cl・Hrn)、ヴィヴァルディの協奏曲(2Ob・2Cl)RV599、RV560にはこのタイプのクラリネットが登場する。一方フランスでは、66才のラモー(J.P. Rameau 1683-1764)が、この新しい楽器を、自作のオペラ『ゾロアストル』(Zoroastre 1749年初演)で初めて使用しオーケストラの響きに新たな彩りを添えたり、また『アカントとセフィーズ』(Acante et Céphise1751年初演)に効果的に導入したりしている。
ドイツでは、1740年代にモルター(J.M. Molter 1696-1765)が、この初期のクラリネットのために6曲の協奏曲を書き、楽器の特性を極限にまで生かした見事な作品を残している。ここでは、トランペット的な音型を効果的に用いているばかりか、美しいカンタービレも聞かれ、この楽器の持つ可能性を最大限に引き出している。

クラリネットは18世紀の宮廷オーケストラにおいても需要が増し、1733年にはドイツのトゥリアー(コブレンツ)選帝侯宮廷にて、一対のクラリネットが購入されている。最初、この楽器はオーボエ奏者が担当したと考えられるが、徐々に専門の奏者が採用されていった。例えば、マンハイムの宮廷は1759年に、ミュンヘンの宮廷は1774年に、ウィーンの宮廷は1787年にシュタードラー兄弟を雇い入れ、ドレスデンの宮廷では1795年にクラリネットが採用されている。
また、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団には、1784年にはクラリネット奏者が在籍していた。
初期のタイプのクラリネットはその後、運指、音程などに改良が施され、モーツァルト(W.A.Mozart 1756-1791)が誕生したころには、すでに5キイのクラリネットが存在していた。モーツァルトは15才のイタリア旅行の際、ミラノで作曲した『ディヴェルティメント変ホ長調K.113』で初めて2本のクラリネットを使用している。また、1778年12月、旅先のマンハイムからザルツブルクの父宛ての手紙で、「ああ、私たちにクラリネットがあったら!フルート、オーボエ、そしてクラリネットが入った交響曲がどれほど素晴らしい効果をもたらすか、ご想像も出来ないでしょう」と書いている。モーツァルトはマンハイムでの多くの優れた独奏者やカンナビヒ(C.Cannabich 1731-1798)らの作曲家との交流から、クラリネットの扱い方の技法を多く吸収したと思われる。
マンハイムの宮廷楽長を務めたシュターミッツ(J.Stamitz 1717-1757)の『クラリネット協奏曲 変ロ長調』は、18世紀に書かれた貴重なクラリネット作品である。また、その息子のC.シュターミッツ(C.Stamitz 1745-1801)は1770年から1784年にかけて11曲のクラリネット協奏曲を書いている。このように18世紀後期には、クラリネットは宮廷においても独奏楽器としても地位を得ていた。 交響曲の分野では、モーツァルト、ハイドン(F.J.Haydn 1732-1809)、ベートーヴェン(L.v.Beethoven1770-1827)が、それぞれ『第31番ニ長調 “パリ” K.297』(1778年)、『第99番 変ホ長調』(1793年)、『交響曲第1番』(1800年)で初めてクラリネットを使用した。

クラリネットは19世紀に入ると更に人気を増し、ポピュラーな楽器としてその地位を築いていった。オーケストラ、室内楽、軍楽隊などにおいてその需要は決して小さくはなく、また愛好家(ディレッタンド)や貴族達の間でもこの楽器は脚光を浴び、19世紀初頭のパリでは、多くの管楽器の製作工房がひしめき合っていた。独奏曲の名作は、その楽器のヴィルトゥオーソと作曲家との出会いにより誕生することが多いが、その中でもシュタードラー(A.Stadler 1753-1812)とモーツァルトとの出会いにより生まれた『クラリネット5重奏曲イ長調 K.581』や『クラリネット協奏曲 イ長調K.622』は特記に値するだろう。
これらはクラリネット音楽における不朽の名作となった。また、19世紀のヘルムシュテット(J.S.Hermstedt 1778-1846)とシュポア(L.Spohr1784-1859)の親交からは、4曲の協奏曲が生まれ、ベールマン(H.J.Baermann1784-1847)とウェーバー(C.M.v.Weber1786-1826)の親交からは1つの小協奏曲と2曲の協奏曲などが誕生した。また、更に少し後の時代では、ミュールフェルト(R.Mühlfeld 1856-1907)とブラームス(J.Brahms 1833-1897)の親交により、2曲の『ソナタOp.120-1,2』、『3重奏曲Op.114』、『5重奏曲Op.115』といった一連の名作が誕生した。
このアルバムでは、バセットホルンのための作品を1曲、収録しているが、この楽器はクラリネット族に属し、歴史的には1770年頃オーストリアのパッサウで、マイヤーホーファー兄弟(A&M.Mayrhofer)により作られたものである。この兄弟の作った初期のバセットホルンは現在、ニュルンベルクの博物館で見ることができる。その後ウィーンの宮廷付き楽器製作者T.ロッツ(Theodor Lotz 1747-1792)やシュタードラー兄弟により、低音用の『バセット・キイ』の追加や、管の構造の改良がなされ、いわゆる18世紀最後期に見られるバセットホルンの姿となった。この時代のバセットホルンの特徴は、クネー(Knee・すね)と呼ばれる中間部で折れ曲がった形状をしており、下管部にはブーフ又はボックス(Buch or Box)と呼ばれる箱形の部分が見られる。なお楽器の管は、このブーフの中で折れ曲がってから、真鍮で出来たラッパ状のベルにつながっている。

この楽器の音色の魅力を最大限に表現しているのはモーツァルトと言える。『グラン・パルティータK.361』、オペラ『魔笛KV.620』、『レクイエムKV.626』などにこの楽器の使用を見ることができるし、また、『5重奏曲KV.581』、『協奏曲KV.622』をモーツァルトから捧げられたA.シュタードラーはバセットホルンの名手でもあった。モーツァルトにとって、バセットホルンとクラリネットはお気に入りの楽器となっていた。
バセットホルンは18世紀の終わりから19世紀初頭にかけて大変もてはやされ、この楽器のヴィルトゥオーソも現れたが、その後、楽器の需要は徐々に減少し衰退の運命を辿ることになる。そして1830年代には、18世紀末より続いた管楽器による名技的演奏様式の時代は終焉を迎えた。
しかし興味深いことに、20世紀に入り、バセットホルンはドイツの作曲家シュトラウス(R.Strauss1864-1949)によりオペラ作品や、管楽器のための作品に用いられ、リヴァイバルを果たしている。
クラリネットが誕生してから約300年が経過したが、その後、多くの試行錯誤や改良が施され、約1世紀後にはオーケストラにおいても、重要な木管楽器としての地位を勝ち得ようとは、誕生当初は誰も予想しなかったことと思われる。
その過程には、楽器製作者の創意と工夫、そしてこの新しい楽器の可能性に注目した演奏者、作曲家達がいたが、中でも、T.ロッツ(Theodor Lotz 1748-1792)や、H.グレンザー(Heinrich Grenser 1764-1813)のような優れた製作家の業績は賞賛に値する。
現代から俯瞰すると、作曲家が活動していた当時に使用された楽器は、オリジリナル楽器(On period instruments)とも呼ばれるが、当時使用された楽器は、常にその時代の最先端の楽器であったということを忘れる訳にはいかない。
クラリネットにおけるオリジナル楽器での演奏は、常に冒険のようなものが伴う。楽器の機能的な不完全さから、また音程面でのコントロールにおいて、時には難儀を強いられることもある。しかし、楽器自体が大変個性を持っており、音色においても、外見においても美しく個性的なものもある。
現代の管楽器製造業者は、正確な音程が作り易く、且つ均一な音色を保持した楽器の完成を製作の基本としており、メーカーや国によって、さほど違いは見受けられない。しかし、オリジナル楽器では、時代や国、楽器のタイプ、また製作者などによって、演奏ピッチ、運指方法、使用マウスピース(歌口)、使用リード等の差異が顕著で、演奏上の工夫が必要になる。
オリジナル楽器には、現代楽器ではもはや作り出しにくい、柔らかく独特の響きが残されており、その部分は演奏上の最大の魅力でもあり、喜びである。

*三戸久史 《古典クラリネットによるロマン派作品集》ライナー・ノートより掲載