レクイエム〈死者のためのミサ曲〉二短調 KV.626 W.A.Mozart(1756-1791)

レクイエムニ短調KV.626 はモーツァルト最晩年の作品であるが、モーツァルト自ら作品完成には漕ぎ着けることは出来なかった。1791年7月、見知らぬ男(注1)がアパートに尋ねて来て、レクイエムの依頼を受けたモーツァルトは作曲料の前金(金貨50ドゥカーテン)を受け取り作曲に取りかかる。しかし、すでに病状が悪化していた作曲家にとっては願うようには筆が進まず、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイアー(Franz Xaver Susmayr, 1766-1803)(注2)の手を借りながら作曲が進められたが、1791年12月5日にこの世を去った。そしてジュースマイアーにより補筆完成された楽譜が後世に伝えられることになるが、これを一般的にジュースマイアー版と呼んでいる。なお、このレクイエムKV.626が作曲された晩年の家はウィーン市のRauhensteingasse 8番地にあったが、現在は残っていない。

 

『曲の構成について』
Ⅰ Introitus(入祭唱)- Requiem(主よ永遠の休息を) 
Ⅱ Kyrie(哀れみの賛歌)
Ⅲ Sequenz(続唱)   Nr.1 Dies irae(怒りの日)
Nr.2 Tuba mirum (不思議なラッパ)
Nr.3 Rex tremendae (おそるべき大王)
Nr.4 Recondare  (慈悲深きイエズス)
Nr.5 Confutatis (呪われた者)
Nr.6 Lacrimosa (涙の日)
Ⅳ Offertorium(奉献唱) Nr.1 Domine Jesu (主イエズス キリスト) 
                 Nr.2 Hostias (称賛のいけにえと祈り)
Ⅴ Sanctus (聖なるかな)
Ⅵ Benedictus (祝されよ)
Ⅶ Agnus Dei (神の子羊)
Ⅷ Communio(聖体拝領唱) – Lux aeterna (永遠の光明を)

 

 実際にモーツァルト自身により書かれた自筆楽譜は、入祭唱〈レクイエム〉と〈キリエ〉だけである。続く〈怒りの日〉は未完ながらも全体の構想が良く感じられて興味深い。 特に、バセットホルンパートはモーツァルトが残し総譜(ジュスマイアー版では充分にモーツァルトの残したパート譜を忠実には伝えていないが)に原型を見ることができ興味深い。 しかし弟子のジュスマイアーは何故かこのバセットホルンパートの原型リズムを踏襲していない。
さて、〈怒りの日〉から続く〈ホスティアス〉までは声楽パートと数字低音のみが残されていて、〈涙の日〉では8小節だけ声楽パートが残された。そして〈サンクトゥス〉〈ベネディクトゥス〉〈アニュス・デイ〉に関しては草稿が残されていたか否かもよく判っていない。
 これら残された断章(フラグメント)をまとめ上げ、レクイエムニ短調KV.626 として世に送り出す作業はジュースマイアーにとっては大変大きな責任と知恵を要するものだったであろう。ジュースマイアー版はレクイエムKV.626演奏においての定番だったが、その補筆された版においては指揮者や音楽学者からも様々な問題点が指摘されていた。20世紀後半になってドイツ人のフランツ・バイアー教授(Franz Beyer)が改定版(1972年)を世に発表したが、ジュースマイアー版の仕事を踏襲しつつも自身のアイデアや主張を打ち出しており、この新版をを世に送ってくれたことは演奏者にとっても大変ありがたい。

 

       
           『編成について』 
バセットホルン2、ファゴット2、トランペット2、トロンボーン(サックバット)3,ティンパニ1,ソプラノ・ソロ、アルト・ソロ、テノール・ソロ、バス・ソロ、合唱(ソプラノ、アルト、テノール、バス)、弦楽五部(ヴァイオリンⅠ.Ⅱ、ビオラ、チェロ、コントラバス)、オルガン。
*編成には2本のバセットホルンが指定されているが、木管楽器では他には2本のファゴットのみである。
モーツァルトはバセットホルンの音色を愛し好んでこの楽器を使用しているが、柔らかくて憂いを帯びた響きは他の楽器には探し求めることが出来ない。E.T.A.ホフマン(注3)はバセットホルンの響きを“カーネーションの香り”
にたとえている。

 

注1) 依頼人は誰であるのか謎といわれたこともあったが、ヴァルゼック伯爵(Count Franz von Walsegg zu Stuppach) の使者だったことが判っている。伯爵は若くして世を去った妻のためにレクイエムを依頼していた。 
映画「アマデウス」(1984年。監督:ミロス・フォアマン 脚本:ピーター・シェーファー)では、謎の依頼人の訪問に脅えるモーツァルトが描かれていたが、実際はどうだったのであろうか?(注2) ジュースマイアーはモーツァルト家と親しくしていて、レクエムKV.626の補筆完成についてはモーツァルトの妻コンスタンツェ(Konstanze Mozart,1762-1842)の依頼があった。

(注3)エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776- 1822)はドイツの作家、作曲家、音楽評論家、画家、法律家。